1994年、サウスカロライナ州スパータンバーグ郡でほぼ同時に二つのことが起きた。1902年に建てられたDrayton Millという綿紡績工場が、90年以上の操業の末に止まった(*1)。そして同じ年、同じ郡に隣接するグリアで、BMWが北米初の完成車組立工場から最初の1台 ― 白い318i ― を送り出した(*2)。工場が一つ死に、工場が一つ生まれた。労働はこの土地から出て行かず、ただ隣の建物に移っただけだった。
それから31年後の2025年、その同じBMW工場のアクティブな組立ラインに、ヒューマノイドロボット企業Figure AIのFigure 02が投入された。そして2026年6月30日、後継機Figure 03がHall 52に到着し、人間が担ってきた物流仕分け作業(sequencing)を学び始めた(*3)。労働は今度は隣の建物にすら移らない。同じ床の上で、動きの持ち主だけが入れ替わろうとしている。
綿花から自動車へ ― この郡はずっと「安い労働力」を追いかける経済の実験場だった
スパータンバーグは19世紀を通じて綿花地帯であり、1816年には既に綿紡績工場が操業していたとされる。南北戦争後、北部資本と貧農からの労働力流入によって、19世紀末〜20世紀初頭にかけて約40の紡績工場が集積し、「南部のローウェル」と呼ばれた(*4)。
繊維産業は州全体で1970年代半ばにピークを迎え、437の工場が14万3千人を雇用していたが、直後からより安い労働力を持つ国々との競争が州の繊維時代を終わらせていった(*1)。Drayton Millが1994年に止まったのは、この長い衰退曲線上の、たまたま目立つ一点にすぎない。
その空白にBMWが入ってきた。1992年6月、BMWは世界250以上の候補地を退けてグリアを選んだ。決め手は州の産業訓練プログラムと、鉄道・高速道路・深水港へのアクセスだったと伝えられる(*5)。1994年9月8日、最初の1台が完成した(*2)。
繊維工場が去り、自動車工場が来た。労働はこの土地に居座り続けたが、持ち主(産業)は入れ替わった。この土地の150年近くは、一貫して同じ問いを繰り返してきたことになる ― どの労働が、どの価格で、この床の上に留まれるのか。
Figure AIという新しい入居者
| 項目 | 内容 | 確度 |
|---|---|---|
| 会社名 / 創業 | Figure AI, Inc.、2022年設立 | confirmed |
| 創業者 / CEO | Brett Adcock(求人マーケットプレイスVettery、eVTOL企業Archer Aviationの創業経験を持つ連続起業家) | confirmed |
| 拠点 | カリフォルニア州シリコンバレー(APはSunnyvale、TIMEはSan Joseキャンパスと報道するが、公式の確認はない) | probable |
| 従業員規模 | TIMEは2025年10月時点で360人規模のスタートアップと報道 | probable |
Figureは自らを「ロボット企業」ではなく「AI企業」と位置づけている。2024年にはOpenAIとの提携で6億7,500万ドルを調達し(*6)、Jeff Bezos、Microsoft、NVIDIA、Amazon・Intel・OpenAIの投資部門が名を連ねた。だがその後Figureは自社開発のVLA(視覚・言語・行動統合)モデルHelixを前面に出し、外部AIモデルへの依存から距離を置いていった(*7)(*8)。
「ゼロ介入」という成功の定義
2025年、BMWスパータンバーグ工場の「アクティブな組立ライン」― つまり既に人間が働いているライン ― にFigure 02が投入された。11か月間、月曜から金曜まで10時間シフトで稼働し、9万点超の部品を投入し、1,250時間超のランタイムを記録し、3万台超のBMW X3の生産に貢献した。作業はラックやビンからシートメタル部品を取り、溶接治具へ置くことで、要求されたKPIは84秒サイクル、37秒ロード時間、シフトあたり99%超の成功率、そして「ゼロ介入」だった(*9)。

このKPIの並びには奇妙な点がある。サイクルタイムや成功率は機械の性能指標として自然だが、「ゼロ介入」は違う。それは人間がその作業に触れないこと自体を成功の定義にしている。つまりこの配置の成否は、ロボットが何をできるかではなく、人間が何もしなくてよくなったかで測られている。
2026年6月30日、後継機Figure 03が同工場のHall 52に到着した。作業は物流・組立向けの「sequencing」― 薄肉部品の精密なピック&プレースと、キャスター付き重量カートの牽引を同一ワークフローに含む、より複雑な仕事である。Figureは、後継VLAモデルHelix 02が手・腕・胴体・足を協調制御し、部品やカート位置のばらつきに応じて身体位置を補正すると説明している(*3)。
| モデル | 位置づけ | 主な仕様 | 確度 |
|---|---|---|---|
| Figure 02 | BMW実生産ライン投入の第2世代機 | 体重約70kg(TIME報道)、35自由度、5指ハンド16自由度、最大25kg可搬、6台RGBカメラ、Figure 01比3倍のオンボード計算能力 | Figure公式実績はconfirmed、個別スペックは二次報道でprobable |
| Figure 03 | Helix前提で再設計された第3世代機 | Figure 02比9%軽量化、2倍フレームレート・1/4レイテンシ・60%広視野角、手のひらカメラ、3g感度の指先タクタイルセンサー、10Gbps mmWaveオフロード、2kWワイヤレス誘導充電、UN38.3認証バッテリー、洗える外装 | confirmed(*10) |
導入台数、単価、BMWとの契約金額は非公開のままである。TIMEはBMW広報が「何台が稼働しているか、契約金額は明かさない」と述べたと報じている(*11)。X上では「追加40台発注」という投稿が広がっているが、裏付けは取れていない(*12)。
Helixが学んでいるのは動きではなく、資産化された技能である
Figureの技術の核はHelixという独自VLAモデルである。2025年版は二層構造で、低速だが汎化に強い7BパラメータのオープンウェイトVLM(S2、7-9Hz)と、高速な80Mパラメータの視覚運動ポリシー(S1、200Hz)からなる。約500時間の遠隔操作データで訓練され、上半身35自由度をタスク固有の微調整なしに単一の重みで制御する(*7)。
2026年1月発表のHelix 02はこれに全身のバランスと接触制御を担うS0を加えた。S0は1,000時間超の人間の動作データと20万を超える並列シミュレーション環境で学習され、1kHzで全身のバランスと接触を制御する。Figureは、4分間・61アクションから成る食洗機タスクの完全自律デモを公開している(*8)。
ここに、この記事の核心がある。500時間、1,000時間という数字は、遠隔操作する人間がどこかで実際に体を動かした時間である。その動きは記録され、重みに変換され、Figure 02にもFigure 03にも、BotQで量産される何百台にも同時にコピーされる。かつて繊維工場が海外へ移ったのは、より安い身体を求めて工場自体が引っ越したからだった。Helixがやっているのはその反転である。工場は引っ越さない。代わりに労働者の技能を身体から引き剥がし、複製可能な資産に変える。資産は疲れず、シフトを拒まず、賃上げを求めず、それを生み出した個人がいなくなっても消えない。
BotQ ― Figureの自社量産工場は、この複製を体現している。2026年4月時点でFigure 03を350台超製造し、生産速度は1日1台から1時間1台へと24倍に改善、バッテリーパックを500超、アクチュエータを9,000個超製造したと発表されている。初代ラインの年産能力目標は12,000台である(*13)。技能が資産になったとき、その資産は工場のスピードで複製される。人間の技能はそのようには複製できない。

余談だが、「ロボット」自体が労働から生まれた言葉である。チェコ語のrobotaは「賦役労働」を意味し、劇作家チャペックが1920年の戯曲『R.U.R.』でこの語を機械人間に与えた。あの劇は機械の反乱ではなく、機械にされた労働者の反乱の話だった(*14)。100年以上前に名付けられたときから、この技術は労働の物語だった。
Hall 52にいる、まだ名前を持つ側の労働者
Figure 02が投入されたのは「アクティブな組立ライン」だった。つまりロボットが来る前から、そこには人間が働いていた。10時間シフト、月曜から金曜という稼働パターンは、ロボットに合わせて新設されたものではなく、既にそこにあった人間の労働リズムに、ロボットが後から合わせた形である。BMWの公式発表もTIMEの報道も、Hall 52で何人の人間がFigure 03の隣で働いているかを数字では明かしていない。だが「アクティブな組立ライン」「sequencing」という言葉が指す仕事は、元々そこにいた人間の仕事の一部である。
この土地の150年近い労働史を思えば、Hall 52で今この瞬間ロボットの隣に立っている作業員の何人かは、祖父母や曾祖父母がこの同じ郡の紡績工場で働いていた世代かもしれない ― これは記録された事実ではなく、地域の産業史から導かれる推測であり、そう明記しておく。確かなのは、この郡が19世紀の終わりから一度も、「誰の労働がここに残れるか」という問いから自由になったことがない、という一点である。
評価額390億ドルの後ろに、公開された売上はない
| 時期 | 内容 | 金額・評価額 | 主な投資家 | 確度 |
|---|---|---|---|---|
| 2023年5月 | 初期調達 | 7,000万ドル | Parkway Venture Capital主導 | probable |
| 2024年2月 | OpenAI提携・大型調達 | 6億7,500万ドル、評価額26億ドル | Jeff Bezos、Microsoft、NVIDIA、Amazon・Intel・OpenAIのスタートアップ投資部門 | 調達額はconfirmed、評価額はprobable |
| 2025年9月 | Series C | 10億ドル超のコミット済み資本、評価額390億ドル | Brookfield Asset Management、NVIDIA、Macquarie Capital、Qualcomm Venturesなど | confirmed |

一方で、売上、粗利、損益は一切公開されていない。TIMEは2025年10月、公表売上がない点と高コスト・高評価額をリスクとして名指しした(*11)。2026年7月8日、Figureは未承認の株式売買への注意喚起を公式に発表し、Hiive、Forge Global、EquityZen、Unicorns Exchangeなどの二次流通プラットフォームでの勧誘に警戒を呼びかけた。取締役会承認なしに株式・SPV持分は移転できないという(*17)。390億ドルという評価額を支える売上の裏付けはどこにもないまま、株式だけが非公式の市場で欲しがられている。
顧客基盤は広がっている。2026年5月、Figureはネバダ州RenoのDistribution Logistics Centerを拠点に、JCPenney・Aeropostale・Brooks Brothersを持つCatalyst Brandsの物流網へヒューマノイドを導入する契約を発表した(*18)。2025年9月にはBrookfieldとの戦略提携も発表している。Brookfieldは10万戸超の住宅、5億平方フィート超の商業オフィス、1億6,000万平方フィートの物流スペースを持ち、Figureはこの環境で人間の動画データを収集しHelixの事前学習データセットを構築する計画である(*19)。BrookfieldはSeries Cの投資家でもある ― Helixが学ぶ人間の動きを提供する不動産の所有者自身が、Figureの株主でもある。
工場でできることと、家でできないこと
Figureが公表する実績はすべて、組立ラインや物流センターという管理された環境で得られたものである。TIMEは2025年10月、Figure 02のタオル折りや洗濯投入のデモで停止や落下が起きたことを報じ、同時点のFigure 03が家庭で自律的に使える段階にはないと指摘した。Adcock氏自身も、長期的な家庭内安全性は非常に難しい問題だと認めたとされる(*11)。
この非対称は偶然ではない。BMWの組立ラインは84秒サイクルの固定反復であり、sequencingも部品・カートの位置のばらつき程度の変動しか持たない。対して家庭は動きが散らばった環境であり、遠隔操作データや並列シミュレーションだけで埋めるには変化の種類が多すぎる。Helixの学習ループが工場で機能するのは、工場が既に人間の動きを標準化した場所だからである。
| 企業 / 製品 | 強み | 弱み・未確認点 | 確度 |
|---|---|---|---|
| Figure 02 / 03 | BMW実稼働、Helix VLA、BotQ内製量産、触覚・手のひらカメラ・誘導充電 | 価格・粗利・契約額非公開。家庭用途は未成熟。390億ドルの評価額に売上の裏付けなし | probable |
| Tesla Optimus | Teslaの製造・AI・電池・調達基盤 | 公開導入実績・商用顧客が限定的。デモの透明性と量産時期が論点 | probable |
| Apptronik Apollo | Mercedes-Benzなど産業顧客、Google/DeepMind系AI連携 | Figureほどの稼働実績数値は未確認。CEOのJeff Cardenas氏は家庭展開を「安全性・信頼性課題が解けてから」の目標と発言 | probable |
| Agility Digit / Boston Dynamics Atlas / Unitree等 | 物流、研究、高機動、低価格など各社で差別化 | 量産・ROI・安全認証は業界全体で未成熟 | probable |
Figureが家庭市場を強調するほど、期待値管理と安全・プライバシー証明の負荷は大きくなる。工場で技能を資産に変える速度と、家庭でその資産を安全に使える速度は、別のカーブの上にある。
開いた問い
Helix 02は1,000時間超の人間の動作データを飲み込んで、1kHzで全身を制御できるようになった。Brookfieldとの提携は、その次の1,000時間 ― 10万戸の住宅と6億平方フィート超の商業・物流空間から集める人間の動き ― をどこから調達するかを、既に決めている。繊維工場はこの土地を去ることで労働者を解雇した。Figureはこの土地に留まったまま、同じ結果に至る方法を学びつつある。ゼロ介入が成功の定義であるなら、次に差し出される1,000時間の動きの持ち主は、その動きが最終的に何のために使われるデータなのか、差し出す前に知っているだろうか。
出典
*1 SC Daily Gazette「How SC's once-dominating textile industry has transformed to supply new employers」(2024-08-07)、probable
*2 BMW Group公式発表(2009年15周年記事内で1994年9月8日を確認)、confirmed
*3 Figure公式「F.03 Arrives at BMW」(2026-06-30)、confirmed(Figure自己公表)
*4 Wikipedia「Spartanburg, South Carolina」ほか郷土史資料、probable
*5 Automotive News「How BMW energized an entire state」(2018-09-08);Spartanburg County公式、probable
*6 AP News「Humanoid robot-maker Figure partners with OpenAI...」(2024-02-29)、probable/confirmed
*7 Figure公式「Helix」(2025-02-20)、confirmed
*8 Figure公式「Introducing Helix 02」(2026-01-27)、confirmed
*9 Figure公式「F.02 Contributed to the Production of 30,000 Cars at BMW」(2025-11-19)、confirmed(Figure自己公表)
*10 Figure公式「Introducing Figure 03」(2025-10-09)、confirmed
*11 TIME「The Robot in Your Kitchen」(2025-10-09)、probable
*12 X投稿群(2026年7月時点の外部収集要約)、weak/rumor(公式・報道裏取りが取れた内容のみ本文に反映)
*13 Figure公式「BotQ」(2025-03-15);「Ramping Figure 03 Production」(2026-04-29)、confirmed
*14 NPR(2025-09-11);etymonline「Robot」、probable
*15 Figure公式「Series C」(2025-09-16)、confirmed
*16 Reuters「AI startup Figure raises $70 million...」(2023-05-24)、probable
*17 Figure公式「Notice Regarding Unauthorized Attempts to Sell Figure Stock」(2026-07-08)、confirmed
*18 Figure公式「Figure Signs Agreement with Catalyst Brands...」(2026-05-26)、confirmed
*19 Figure公式「Figure Announces Strategic Partnership with Brookfield」(2025-09-17)、confirmed
未確認事項・要フォローアップ
- Figure 02 / Figure 03の正確な販売価格、RaaS月額、保守費、SLA、保証条件。
- BMW向け導入台数、2026年時点の追加発注有無、Xで言及された「40台追加発注」の一次情報。
- Hall 52でFigure 03と共に働く人間作業員の実数、役割分担、待遇の変化。
- Hall 52の作業員とスパータンバーグ地域の繊維産業労働者の世代的連続性(本記事では推測に留めた部分の裏付け)。
- Figure 03の量産後の顧客別出荷台数、稼働時間、故障率、稼働率、ROI。
- Catalyst Brands、Brookfieldでの実稼働開始日、台数、対象タスク、成果KPI。
- Figureの売上、粗利、営業損失、キャッシュバーン、BotQの単体製造原価。
- Figure 03の最終量産スペック表。身長、重量、可搬重量、バッテリー容量、稼働時間、歩行速度は公式スペックシートとして未確認。
- 特許出願、査読論文、第三者安全認証、家庭内データ利用ポリシーの詳細。