2024年秋、NVIDIAが主催したAIイベントの壇上。登壇した安川電機の社長・小川昌寛への質疑応答で、当時まだ独立系スタートアップだった東京ロボティクスCEO・坂本義弘がひとつの問いを投げた。「AIを使ってロボットが人間のいる環境に入っていくのなら、ハードウェアの設計論そのものも変わるべきではないか」。小川は「そのとおりだ」と答えた。これが「すべての始まりだった」と、後に両者が振り返っている(*1)

一年足らず後の2025年7月1日、安川電機は東京ロボティクスを完全子会社化した。買収したのは、早稲田大学発のスタートアップが開発してきた車輪移動式の双腕ロボット「Torobo」——全身に力覚センサーとインピーダンス制御を持つ、人型に近い身体を持つ機械である。

これは奇妙な買い物のはずだった。なぜなら安川電機は、その数か月前にヒューマノイド狂騒への自社の答えをすでに世に出していたからだ。2024年4月17日、NVIDIA・Wind Riverと共同で発表した次世代ロボット「MOTOMAN NEXT」。双腕ではあるが脚を持たず、NVIDIA Jetson Orinを組み込んだ自律制御ユニット(ACU)でビジョン・経路計画・力制御を統合する(*2)。脚で歩かず、腕で働く——これが安川の「形」の選択だったはずである。

一つの会社が、一年足らずの間に「やらない」と「買う」の両方を選んだ。これは方針が翻ったという単純な話ではない。身体の正しい形について、この分野の誰ひとりとして、まだ答えを持っていないことの証拠である。

百十年、腕だけを磨いてきた

安川電機は1915年7月16日創業、2026年7月16日で満111年を迎える(*3)。技術的な起点は1917年の三相誘導電動機、1958年のMinertia motor、1972年登録の商標「MECHATRONICS」、そして1977年に完成した日本初の全電気式産業用ロボットMOTOMAN-L10にある。2017年には「i3-Mechatronics」を提唱し、ロボット関節のサーボモータが集めるデータで生産性と品質を高める方向を明示した。一世紀を貫く一貫性がある——安川がずっと磨いてきたのは、人間の身体を模すことではなく、腕という形を工場に最適化し続けることだった。

その百十年の節目は、偶然にも会社のガバナンスの節目とも重なった。2026年5月27日の第110回定時株主総会で、小笠原浩会長が社長を兼任することになり、東京ロボティクス買収を主導した小川昌寛は取締役を退任、副会長執行役員としてAIロボティクス事業の統括に回った(*4)。ヒューマノイドへの賭けは、それを始めた経営者の代替わりをまたいで、組織の意思として引き継がれた形になる。

Yaskawa: A Century of the Arm

実際に売れているのは、脚のない機械である

MOTOMAN NEXTは可搬4〜35kgの産業用5モデル(NEX4/7/10/20/35)と協働ロボット2モデル(NHC12/NHC30)からなり、いずれもコンパクトなYNX1000コントローラで動く。2026年の決算説明資料では「既存作業環境で人の作業を置き換え得る高生産性・自律性を持つ双腕AIロボット」と位置づけられ、日刊工業新聞「十大新製品賞」本賞も受賞した(*5)

同時期、安川は大型ワーク搬送用にMOTOMAN-GP215L(可搬215kg、最大リーチ3,114mm)、GP400L(可搬400kg、リーチ3,718mm)、GP700(可搬700kg)を2026年6月に投入し、ライフサイエンス向けにはクリーンルーム対応のHD7・HD8を発売している。標準機の定価は公開されていないが、Financial Timesは2026年3月の記事でロボットアーム導入コストを協働ロボットで約4万ドル、産業用大型アームで最大50万ドルという業界レンジで報じている(*6)

製品/ライン用途スペック/特徴確度
MOTOMAN NEXT(NEX4〜35、NHC12/30)双腕AIロボット、既存ワークセルのAI化可搬4〜35kg、NVIDIA Jetson Orin搭載ACU、YNX1000コントローラconfirmed
MOTOMAN-GP215L大型ワーク搬送可搬215kg、最大リーチ3,114mm、2026年6月発売confirmed
MOTOMAN-GP400L大型ワーク搬送可搬400kg、最大リーチ3,718mmconfirmed
MOTOMAN-GP700重量物搬送可搬700kg、最大リーチ2,845mmconfirmed
MOTOMAN-HD7/HD8医薬品・ライフサイエンスISO 14644-1クリーンルームClass 4/5対応、IP69相当confirmed
Torobo(東京ロボティクス)車輪移動式双腕ヒューマノイド全身力覚センサー、インピーダンス制御confirmed(存在)/商用化条件はweak

この表がまず示すのは、安川の現在の収益は依然として脚のない機械から生まれているという単純な事実である。Toroboはまだ製品ではなく、買収された研究資産である。

Heavy-Duty MOTOMAN Payloads

帳簿の上では、腕はもう楽勝ではない

2026年2月期の連結売上高は5,421億円(前年比+0.8%)、Roboticsセグメントは売上2,470億円(同+4.0%)と伸びた一方、営業利益は204億円(同-14.0%)、営業利益率は8.3%まで低下した(*7)。自動車向けは日本・米州・欧州で弱く、中国・アジアの大型案件と一般産業向け投資需要が売上を押し上げたが、その大型案件自体が付加価値を薄めて利益を圧迫した——量は増えても、単位あたりの実入りは細っている。

腕という形が完成された技術であることと、その形で稼ぐ商売が楽になっていくこととは、別の話である。この地味な収益の目減りこそが、まだ製品にすらなっていないヒューマノイド要素技術に、百十年企業が新たに資本を投じる理由の一部を静かに説明している。

FY Feb-2026 Results

2013年、腕のいい会社が二つ、同時に消えた

安川の賭けを理解するには、いったん電機産業の別の場所に目を移す必要がある。2013年7月31日、NECは携帯電話端末事業の見直しを発表し、スマートフォン事業から撤退した。同年9月26日、パナソニックも個人向けスマートフォン事業からの事実上の撤退を発表している(*8)(*9)。両社は当時のフィーチャーフォン(ガラケー)市場で長年トップシェアを争ってきた、電子機器製造として一級の企業だった。NECは2010年にカシオ・日立と携帯電話事業を統合したNECカシオモバイルコミュニケーションズを設立してなお生き残りを図ったが、その会社自体が2016年3月に解散している。

両社が失敗したのは、モノを作る技術が劣っていたからではない。iPhone(2007年)とAndroid(2008年、日本市場投入)がすでに勝ち取っていた「タッチスクリーンの板+オープンなアプリ基盤」という形を、自分たちが持っていなかったからだ。撤退の発表は、形が変わった瞬間からわずか数年後に、ほぼ同じ年に、相次いでやってきた。

安川電機がMOTOMAN NEXTという形にすでに賭けていたのと同じように、NECとパナソニックもかつて自分たちの形——折りたたみ式で、キャリア仕様の独自OSを積んだ携帯電話——に賭けていた。工場の腕と消費者のポケットという場所は違うが、「一つの形に長く最適化してきた電機大手が、外から来た別の形に置き換えられる」という構造そのものは、同じ産業の同じ国から、すでに一度観測されている。

見えない資産、あるいは見えない罠

もっとも、工場と消費者のポケットは同じ速度では動かない。安川は30カ国に拠点を持ち、製造拠点は12カ国28カ所に及ぶ。ロボットの導入には安全認証、既存ラインとの物理的な統合、保守契約、部品供給網が伴い、これは数年周期で買い替えられる携帯電話とは時間の尺度が違う。この「見えない資産」——百年かけて積み上げた据付・保守網と安全認証の実績——は、NECやパナソニックの携帯電話事業が持ち得なかった種類の防御力である。

しかし、NECにも拠点網はあった。日本中の基地局仕様を知り尽くした開発体制も、キャリアとの太いパイプもあった。それでも形が変わった年、その蓄積は数年で無力化した。見えない資産は、それが本当に防御力として機能するのか、それとも形が変わる直前の会社ほど自分の蓄積を過信するものなのか、どちらの解釈にも開かれている。安川電機がいま両方の形——脚のない腕と、脚を持たない車輪移動式の疑似ヒューマノイド——に同時に足をかけているのは、この問いにまだ答えを出していない証拠でもある。

人がまだ立っている場所

現時点で、安川の技術が実際に触れている人間の座標は明確だ。i3-Mechatronics導入事例として公式に名前が挙がるのはキユーピー。Oishii Farm Japanのイチゴ播種・育苗にはAgri-Neシステムの2号プロトタイプが設置され、自動細胞培養システムMaholoは米FDAのAdvanced Manufacturing Technology指定を受けた。これらはすべて、脚のない機械が現に動かしている生産現場である。

対して、Torobo とMOTOMAN NEXTを組み合わせた「AI-RAN」統合制御デモ——2025年12月9日、2025国際ロボット展でソフトバンク・NVIDIAとともに公開された「ロボットが人と共に働く未来の空間」というシナリオ——には、商用顧客の名前も稼働台数も伝えられていない(*10)。人型に近い機械はまだ展示会の中にいる。工場の中で実際に人の作業を肩代わりしているのは、依然として脚のない腕の方である。

NECとパナソニックにも、拠点網も量産の腕も、キャリアとの太いパイプもあった。それでも形が変わった年、その蓄積は数か月で無力化した。安川電機が持つ30カ国の拠点網、12カ国28拠点の生産体制、そして百十年を超える据付・保守の実績は、同じことが起きないという保証だろうか。それとも、起きる直前の会社ほど、自分の蓄積を保証だと信じているのではないか。

出典

*1 東洋経済オンライン、東京ロボティクス・坂本義弘CEOインタビュー(2024年秋のNVIDIAイベント、買収経緯)、probable

*2 Wind River, "Yaskawa Electric's Next-Generation Industrial Robot with AI and Autonomy Uses Wind River Linux"(2024-04-17)、confirmed

*3 Yaskawa Global Site, Corporate data / History / Industrial robots、confirmed

*4 robot digest、「小笠原会長が社長を兼任、小川社長はAIロボティクス事業統括に」、2026年5月27日第110回定時株主総会に関する報道、confirmed

*5 Yaskawa, Results Briefing for FY2025(2026-04-10)、confirmed

*6 Financial Times, Nvidia and ABB launch partnership for AI-enabled autonomous robots(2026-03-09)、probable(業界レンジとしての価格帯)

*7 Yaskawa, Consolidated Results for FY Ended February 28, 2026(IFRS、2026-04-10)、confirmed

*8 NEC、「携帯電話端末事業の見直しについて」プレスリリース(2013-07-31)、ITmedia/日本経済新聞報道、confirmed

*9 パナソニック、個人向けスマートフォン事業撤退報道(EE Times Japan/ITmedia/日本経済新聞、2013-09-26)、confirmed

*10 ロボスタ、「安川電機がヒューマノイドと協働ロボットを『AI-RAN』で統合制御するデモを公開」(2025-12-09)、probable

未確認事項・要フォローアップ

  • Torobo/MOTOMAN NEXT統合デモの商用化スケジュール、価格、初号案件の有無。
  • MOTOMAN NEXT搭載ACUの正確なJetson Orin型番(NX/AGX等)についての安川自身による一次情報。
  • 東京ロボティクス買収の取得価額・出資比率の詳細条件。
  • SoftBankとのAI-RAN関連MOUの原文と役割分担。
  • 小笠原浩新体制下でのヒューマノイド戦略の優先順位づけ(小川昌寛のAIロボティクス事業統括としての具体的権限範囲を含む)。
  • 2025-2026年時点のメーカー別産業用ロボット市場シェア。無料公開資料では安川単独シェアを確定できなかった。
  • 北九州Robot Factory No.5の投資額、年産能力、AI工場としての自動化率・稼働指標。