この会社の創業者の名前を、筆者は突き止められなかった。公式サイトの「About」ページは、コアチームを「Transformerのアテンション機構を早期に提案した研究者」「大手ロボット企業出身のハードウェア起業家」といった肩書きだけで語り、固有名詞を一つも出さない(*1)。資金調達を報じた英語圏の業界メディアも同様で、創業から2年半で評価額28億ドル超まで駆け上がった企業のCEOが、記事の中で一度も名前を持たない(*2)。ところが同じ会社が、GitHub上には別の顔で立っている。リポジトリ「wall-x」はApache-2.0という、商用利用も改変も再配布も止めない、オープンソース界で最も譲歩の大きいライセンスを掲げ、1,200件のスター、89件のフォークを集めている(*3)。経営者の名前は隠したまま、ロボットの「頭脳」の設計図は世界中の見知らぬ開発者に無料で手渡す ― この非対称さの中に、X Square Robot(自变量机器人科技〈深圳〉有限公司)という会社の輪郭がある。

27日で589億ドルが消えた朝

「オープンウェイト」という言葉が、単なる開発者コミュニティの美徳ではなく、株式市場を一日で動かす兵器になった瞬間が、2025年1月にあった。中国のDeepSeekが1月20日に推論モデル「R1」を無償公開し、訓練コストはわずか560万ドルだったと主張した(この数字自体、多くの専門家から過小評価だとの疑義が出ている)(*4)。その7日後の1月27日、NVIDIAの株価は17%下落して終値118.58ドルとなり、時価総額589億ドルが一日で消えた。米国株式市場の一企業における史上最大の一日あたり評価損失である(*5)。無償公開されたモデルの重みが、太平洋の反対側にある半導体企業の株価を、たった一週間で揺るがした。これが「オープンウェイト」という行為の、証明済みの威力である。

X Square Robotがロボット版の基盤モデル「WALL-OSS」を無償公開したのは、この衝撃からおよそ8ヶ月後、2025年9月のことだった。

半年遅れの複製、しかしより開かれた複製

WALL-OSSは、ロボティクス版のDeepSeek・ショックになり得るか ― そう問いたくなる。だが日付を並べると、順序が違う。中国の具身知能企業の中でオープンウェイトの基盤モデルを先に公開したのは、AgiBot(智元机器人)である。同社は2025年3月、汎用具身基盤モデル「GO-1」と大規模データセット「AgiBot World」を発表し、そのモデルはHugging Face上で公開されている(*6, *7)。ただしGO-1のライセンスはCC BY-NC-SA 4.0 ― 非営利・改変後同一条件配布に限定された、研究目的の開放である(*6)

X Square RobotのWALL-OSSが公開されたのは、その6ヶ月後の2025年9月8日から11日にかけてで、Quanta X2ロボットの発表と同じタイミングだった。そしてこの時、同社は1億ドル超(一部報道では1億4,030万ドル)のシリーズA+ラウンドをアリババクラウド主導で調達したことも同時に公表している。新規投資家にはHongShan、INCE Capitalが加わり、既存投資家の美団(Meituan)、Legend Star、Legend Capitalが継続出資した(*2, *8)。つまりX Square Robotは、ロボティクス業界で「最初にオープンウェイト化した会社」ではない。半年遅れで同じ手を打った、二番手である。ただし、その開き方はAgiBotより徹底していた ― 非営利限定のGO-1に対し、WALL-OSSのコードはApache-2.0で商用利用を制限しない(*3)。後発者が、先行者より深く扉を開けて見せた恰好である。

1998年と2008年、劣勢の会社が扉を開けた

「劣勢の企業が、閉じたままでは勝てない競争において、コードを手放すことで参入者を増やし局面を変えようとする」という行動様式は、この28年で少なくとも二度、同じ形で繰り返されている。1998年1月、当時Microsoftの無料ブラウザ(Internet Explorer 4)にシェアを奪われ続けていたNetscapeは、自社ブラウザの全ソースコードを無償公開すると発表した。これがMozillaプロジェクトの起源であり、当時は「Netscapeの降伏」とも評された一手だった(*9)。2007年11月、まだ発売されたばかりのiPhoneがスマートフォン市場を独占し、Googleの検索広告事業への入り口が閉ざされることを恐れたGoogleは、Androidを無償・オープンソースの携帯OSとして公開し、Open Handset Allianceという企業連合を組んだ(*10)

いずれも、市場を先に取った側は閉じたままでよく、後から追う側だけが扉を開ける。DeepSeekがOpenAIに対して、AgiBotとX Square RobotがFigureやPhysical Intelligenceに対して行っていることは、この28年来のパターンの、ロボティクスという新しい産業での再演にすぎない。ただし今回は、開ける側が一企業ではなく一国の産業政策になっている点が違う。

資金と重みが同じ週に手渡された

X Square Robotの資金調達史を辿ると、情報公開の濃淡がはっきり分かれる。個別ラウンドの投資家名や金額の一部は分かるが、持株比率、累計調達額、売上、損益は非公開のまま2026年7月を迎えている。

時期ラウンド金額・評価額主な投資家
2023年12月天使輪非公開深圳で運営開始(*1)
2024年10月-2025年1月Pre-A〜Pre-A++億元級・数億元非公開(*1)
2025年4月A輪数億元非公開(*1)
2025年8-9月A+輪1億ドル超〜1億4,030万ドル(報道により差)アリババクラウド主導、HongShan、INCE Capital、美団、Legend Star、Legend Capital(*2, *8)
2026年1月A++輪10億元字節跳動(ByteDance)、紅杉中国等(*1)
2026年4月B輪非公開小米(Xiaomi)(*1)
2026年7月B/B+/B++/C輪(4ラウンド連続交割)評価額200億元超(約28億ドル)国家人工智能産業投資基金、紅杉中国、小米戦投等30社超(*11)
X Square Robot Funding Rounds

同じ表の中で、唯一「額と相手が明確に一致する」ラウンドが2025年9月のA+輪であり、これはWALL-OSSの無償公開と同じ週に発表されている。製品面でも公開の濃淡は同じ構造を持つ。車輪式双腕ロボット「Quanta X1 Pro」(全身19自由度、単腕最大負荷14kg)や仿人形ロボット「Quanta X2」(全身62自由度、双腕最大25kg)、五指デクスタラスハンド「ArtiXon Hand」(20自由度)は、公式サイト上で仕様がすべて数値開示されている一方、価格・保守条件・量産能力は一貫して非公開である(*1)。無本体データ収集システム「XRZero-G0」に至っては、arXiv論文が可用データ率85%、無本体データと実機データの10:1混合で実機データのみと同等の性能、取得コストを20分の1に圧縮できると具体的な数字で主張しており、これは人民日報客戶端の報道とも符合する(*12, *13)。この会社は、コードと論文になった技術的主張については驚くほど雄弁で、金と経営者については驚くほど寡黙である。

Robot Degrees of Freedom

国家がすでに気づいている二つの輪

この非対称さは、一企業の広報戦略として片づけられない段階に来ている。米連邦議会の諮問機関である米中経済安全保障調査委員会(USCC)は2026年3月、「Two Loops」と題した報告書で、中国のAI戦略を「デジタルの輪」と「物理の輪」の相互強化として分析した。デジタルの輪とはモデルのソースコードと重みを無償公開し、開発者コミュニティに速く広く使わせる戦略であり(報告書はアリババのQwenがHugging Face上で10万件超の派生モデルを生んだ最大のエコシステムだと指摘する)、物理の輪とはその安価なAIを製造業・物流・ロボティクスへ大量展開し、現実世界のデータを吸い上げて再びモデルを鍛える循環である。同報告書は、米国の輸出規制が主に半導体というデジタルの輪の入口を狙っているのに対し、いったん公開された重みそのものは技術的に回収不可能であり、規制の射程が物理の輪の側には及んでいないと指摘する(*14)

X Square Robotの資金調達表に「アリババクラウド」という名前が出てくるのは、この文脈では象徴的である。USCCが「デジタルの輪」の代表格として名指しするQwenの版元と、深圳の一具身知能企業に1億ドル超を投じ、同じ週にその重みを世界へ公開させた投資家が、同じ会社だからだ。一方、米国側では2026年6月、大統領令によってAIモデルの公開30日前の政府への事前共有が義務化され、月末にはOpenAIの「GPT-5.6 Sol」が政府承認済みの約20組織にしかアクセスを許されないという運用が報じられている(*15)。開く側と閉じる側の距離は、2026年に入ってむしろ広がっている。

深圳の1,000世帯、顺丰の夜勤

物理の輪の中に、具体的な人間はどこにいるのか。南方日報が報じた数少ない実名の顧客が、その場所を示している。58到家との提携によるロボット家政サービスは、深圳ですでに約1,000の一般家庭に届いているという。順豊(SF Express)との協業では、24時間稼働の仕分けラインでロボットが柔軟な仕分け作業を担っていると報じられている(*11)

しかし、この二つの現場について分かっているのはここまでである。1,000世帯のうち何世帯が試験利用で何世帯が継続契約なのか、顺豊の夜勤担当者の何人分の作業がロボットに移ったのか、事故や不具合の報告はあるのか ― これらの数字はどこにも公開されていない。GitHub上のwall-xリポジトリは、自社の目的を「世界で最も価値のある継続的・高忠実度の物理相互作用データを捉え、圧縮すること」だと説明している(*3)。この一文を素直に読むなら、この会社が本当に手放したくないものは、無料で配ったコードではなく、深圳の家庭と顺豊の物流ラインで機械が集め続けているデータの方だということになる。

重みは世界中の見知らぬ開発者に、すでに1,200個の「スター」という形で受け取られた。だが1,000世帯の暮らしの中で何が起きているかを知っているのは、依然として名前を明かさないこの一社だけである。公開されたのはコードであり、閉じたままなのは家庭だった ― この会社について次に検証すべきなのは、無料で差し出された重みの中身ではなく、無料では決して差し出されないその先のデータなのかもしれない。

出典

*1 X Square Robot公式About、confirmed

*2 The Robot Report「X Square Robot debuts foundation model for robotic butler after Series A round」(2025-09-08)、confirmed

*3 GitHub「X-Square-Robot/wall-x」、confirmed

*4 Forbes「Biggest Market Loss In History: Nvidia Stock Sheds Nearly $600 Billion As DeepSeek Shakes AI Darling」(2025-01-27)、confirmed(訓練コスト560万ドルは同社主張であり、専門家の間で過小評価との指摘がある)

*5 Bloomberg「Nvidia Loses $589 Billion as DeepSeek Batters Stock」(2025-01-27)、confirmed

*6 Hugging Face「agibot-world/GO-1」、confirmed

*7 Barchart「AgiBot Unveils Universal Embodied Foundation Model—Genie Operator-1 (GO-1)」(2025-03-10)、confirmed

*8 Open Source For You「X Square Robot Launches Open Source Wall-OSS After USD140.3 Million Boost」(2025-09-11)、probable

*9 Wikipedia「Browser wars」、confirmed

*10 Wikipedia「Android (operating system)」)、confirmed

*11 南方日報(2026-07-06)、probable

*12 arXiv「XRZero-G0」、confirmed

*13 人民日報客戶端(2026-06-13)、probable

*14 米中経済安全保障調査委員会「Two Loops: How China's Open AI Strategy Reinforces Its Industrial Dominance」(2026年3月)、confirmed

*15 Digital Applied「Does US AI Gatekeeping Hand China the Open-Source Edge?」(2026年6月時点の米政府措置の整理)、probable

未確認事項・要フォローアップ

  • X Square Robotの創業者・CEOの実名、株主構成、従業員数。公式・英語圏報道のいずれでも確認できていない。
  • 「智平方」という名称の出所。公式社名・ブランドは「自变量机器人 / X Square Robot」であり、智平方表記の一次情報は未確認。
  • AgiBot(智元机器人)との資本・人的関係。スピンオフ説は今回も裏付けが取れていない。
  • 「累計500億人民元規模」説の原典。確認できた最新評価額は200億元超(約28億ドル)である。
  • WALL-OSSの重み自体の商用ライセンス条件。GitHubのコードリポジトリはApache-2.0を掲げるが、Hugging Face上のモデルカードにはライセンス欄の明記がなく、重み単体の商用利用条件は確認できていない。
  • 58到家における約1,000世帯の内訳(試験利用か継続契約か)、顺豊における稼働台数・代替された人員数・事故報告の有無。
  • B、B+、B++、C各ラウンドの個別金額、ポスト評価額、投資家別出資額、希薄化率。
  • Quanta X1 Pro、Quanta X2、ArtiXon Handの価格、量産能力、保守費、納期。