1784という数字には、住所以上の意味が仕込まれている。ソウル近郊・城南市正子洞178-4番地に建つNAVERの第2本社ビルは、番地の下4桁がたまたま語呂よく並んだのではない。NAVER LABSの経営陣は、この数字がもう一つの由来——1784年は産業革命が始まった年とされる——を兼ねていると説明している(*1)。蒸気機関が工場を水車や風車の立地から解き放ったとされるその年号を、検索企業は自社本社の名前に選んだ。ビルの中には、人間用とは別に、ロボット専用のエレベーター「Roboport」が走っている(*2)

これは比喩ではない。NAVERは1784を、単体のロボットを売るための工場ではなく、建物そのものをロボットが暮らせる空間に作り替える実験として設計した。そして2026年のいま、この実験は国境を越え、サウジアラビアの都市の地下に書き込まれ始めている。輸出されたのは、ロボットの筐体ではなかった。

「もう一つの産業革命」を名乗ったビル

1784は2022年に開所したNAVERの第2本社で、韓国のスマートシティ協会から「世界初のロボットフレンドリー・ビル」として認証を受け、316件の特許技術が投じられたとNAVER側は説明する(*1)。設計時からロボットの走行を前提に、段差はほぼ排され、エレベーター、自動ドア、無線ネットワークが人間だけでなく機械の利用者を織り込んで作られている。当初の計画では年内に100台のRookie配送ロボットを稼働させるとされ(*1)、実際に2024年以降の報道でも約100台のRookieが5,000人規模の社員と同じフロアで働いていると繰り返し確認されている(*2)(*3)

1784という名が指す1784年は、ジェームズ・ワットが往復運動を回転運動に変える機構を完成させ、水力に縛られない場所に工場を建てられるようにした年として語られることが多い(*4)。工場が土地から自由になった年に、NAVERは自社ビルを丸ごと「ロボットが土地の制約なしに動ける建物」の実験場にした——この符合は偶然ではなく、NAVER LABS自身が意図した命名だという(*1)

だがここで踏みとどまるべきは、1784が売っているのが「ロボット」ではないという点である。NAVERはRookieを外部に量産販売していない。可搬重量、単価、製造委託先といった基本スペックさえ公式には体系化されていない。1784が本当に作り、磨き続けているのは、ロボットという物体ではなく、ロボットが人間と共存するための「空間の運転作法」そのものである。

ロボットが最初に学んだのは、道ではなく気配だった

その運転作法の中核にあるのが、クラウド頭脳「ARC(AI, Robot, Cloud)」である。ARCはロボット搭載カメラとセンサーの情報を集約し、建物のデジタルツイン上でロボットの位置を数十センチ単位まで特定し、経路を計算する(*2)。この頭脳とロボットをつなぐのが、Samsung Electronicsと共同で構築した韓国初の私設5G網であり、遅延を抑えてロボットを「brainless」に近い軽量設計のまま動かすことを可能にした(*5)。ロボット専用エレベーターRoboportは、昼休みの混雑時にも配送を止めないために作られた設備である(*2)

しかし、1784が本当に時間をかけて設計したのは、通信網でもクラウドでもなく、人間がロボットの近くにいて「不快に感じない」条件だった。NAVER LABS Europeは、エレベーターという狭い密室でロボットと人間が共存する場面を対象に、行動観察・アンケート・ロボットを実際に配置したウィザード・オブ・オズ実験を重ねている(*6)。その結果、ロボットが人の背後に立つと利用者は不快感を覚えることが分かり、フロアボタンの対角にあたる前方の隅に立たせる配置に落ち着いた(*2)。さらに、ロボットが道を譲る際は青色の光を点滅させながらゆっくり後退する動きが「人間的で礼儀正しい」と受け止められ、逆に優先権を主張する際の前進や警告音は「速いが攻撃的で、緊急時以外は正当化されない」と参加者に評価されたことも、公式研究として報告されている(*6)

つまりNAVERが1784で数年かけて仕込んだのは、経路探索アルゴリズムである以前に、5,000人の社員の身体的な違和感を測定単位にした「機械の礼儀作法」だった。人間の座標は、経営者でも投資家でもなく、毎朝ロボットと同じエレベーターに乗り合わせる社員たちの、言葉にならない居心地の悪さの中にある。

Googleが2017年に手放した賭けを、検索企業がもう一度買った

ここで一つ、遠い点と点を結んでおく必要がある。2013年、Googleは人型ロボットで知られるBoston Dynamicsを買収し、消費者向けロボットを目指す社内プロジェクト「Replicant」の中核に据えた。しかし2017年、Googleは同社をSoftBankへ売却した。理由は明確で、Boston Dynamicsが「Googleにとって許容できる時間軸で収益を生む見込みがない」という判断だった(*7)。当時プロジェクトを率いたJonathan Rosenbergは、「我々の規模のスタートアップが、10年かかるものにリソースの30%以上を割くことはできない」と説明したと伝えられる(*8)。検索とAIで世界を制した企業が、身体を持つロボットという賭けからは撤退した瞬間である。

NAVERは、FTが「韓国のGoogle」と呼ぶ検索企業でありながら(*9)、同じ賭けを別の形で買い戻している。ただし買い戻し方が違う。NAVERはBoston DynamicsのようにAtlasやSpotという「売る対象としての機体」を磨いていない。NAVERが投じたのは、ビル一棟、5G網一式、そしてロボットの礼儀作法を学習させるための数年という時間だった。Googleにとってロボットの身体は、いずれ単体で黒字化しなければならない事業部門だった。NAVERにとっての1784は、そもそも単体で黒字化する必要のない、上場企業の研究開発資産である。この違いが、NAVERを「Googleが降りた賭けに、違うルールで居座り続けている」立場にしている。

実験室の中の値札

項目内容商流・価格
1784ビル運用NAVER第2本社。2022年開所。スマートシティ協会認証の「ロボットフレンドリー・ビル」で316件の特許技術を投入(*1)。Rookie約100台が5,000人規模の社員と同居する(*2)(*3)外販価格なし。社内実証・ショーケース。
Rookie(配送ロボット)社内配送、飲料・軽食・書類の搬送、館内Starbucksへの注文品配送などを担う(*3)可搬重量・単価・製造委託先は非公開。RaaS条件も未確認。
ARC(AI, Robot, Cloud)ロボットのカメラ・センサー情報を集約するクラウド頭脳。建物のデジタルツイン上でロボットを測位し経路を計算する(*2)。私設5G網はSamsung Electronicsと共同構築(*5)外部提供条件は非公開。
ARC eye・屋内測位 / Digital TwinNAVER LABS公式研究領域はVision-Based Localization、Mapping & Localization、City-Scale 3D Modelingを明記(*10)非公開。
ARCVERSE・都市デジタルツインサウジアラビア3都市(メッカ、メディナ、ジッダ)で920,000棟超・6,800km²超を対象に都市3D複製を完成(*11)2023年10月受注、契約規模1億ドル(*12)
Naver Innovation(NHC合弁)住宅・交通向け地図連動「スーパーアプリ」と都市監視プラットフォームの開発・運営(*13)出資額非公開。NAVERの中東初の事業体。
Saudi Digital Twin Scale

1784が「brainless」寄りにロボットを設計する発想自体は、研究一般としても妥当性がある。クラウドロボティクスはロボット単体の演算・電力制約を補える一方、通信遅延や障害時の安全設計が課題になるとされ(*14)、5G/エッジを介した遠隔制御も低遅延を実現できる一方でジッターへの頑健性が要求される(*15)。1784の設計思想は、この技術的トレードオフのただ中に置かれている。

実験は、建物のまま国境を越えた

NAVER本体の2026年第1四半期決算は、売上3兆2410億ウォン、営業利益5418億ウォン、純利益2910億ウォンで、AI投資の費用増が利益率を圧迫したとWSJは報じている(*16)。1784単体、NAVER LABS単体の損益は非公開のままだが、この四半期の背後で進んでいたのが、1784というショーケースを使った海外への売り込みだった。

NAVER Q1 2026 Results

2023年10月、サウジアラビア住宅・都市省はNAVERを含む陣営に、メッカ・メディナ・ジッダの都市デジタルツイン構築を約1億ドル規模で発注した(*12)。2025年6月までにNAVERはこの3都市について、920,000棟を超える建物と6,800平方キロメートル超をカバーする3Dモデルを完成させたと報じられている(*11)。さらに2024年11月には、同国の国有住宅開発機関NHC(National Housing Company、国内不動産取引の7割を扱う)とMOUを締結し、2025年には合弁会社を設立、住宅・交通など公共サービス向けの地図連動型「スーパーアプリ」開発と、都市監視プラットフォームの運用を担う体制を整えた(*13)。これがNAVERにとって中東における最初の事業体となった。

ここで輸出されているものを、もう一度確認しておく必要がある。NAVERが売っているのはRookieでも、Roboportでもない。売られているのは、1784で磨き上げた「建物・都市の三次元複製と、そこにセンサーとロボットとクラウドを重ねる運転作法」そのものである。ロボットという製品ではなく、空間というOSが輸出商品になっている。

NAVER Saudi Expansion

主権を売る会社が、他国の主権都市を書く

この輸出には、もう一つの緊張が重なっている。NAVER Cloudは近年、中東・東南アジアに向けて「主権AI(sovereign AI)」を掲げ、米中の大手クラウド事業者に依存しない、現地の規制とデータ管理権を尊重したインフラを提供する立場を前面に打ち出している(*17)。FTは、この「データ主権」を訴求する事業展開の一環として、サウジアラビアでのデジタルツイン提供が進んでいると報じている(*9)。つまりNAVERは、他国に「自国のデータは自国で握れ」と説きながら、まさにその他国の都市——住宅の配置、交通の流れ、建物の構造——を三次元で複製し、外部企業として運用に関わる立場に立っている。矛盾とまでは言えないが、少なくとも単純な物語ではない。

契約対象の3都市には、メッカも含まれる。メッカは、毎年ハッジの時期に世界各地から200万人を超える巡礼者が同時に密集する、地球上でも稀な人口密度を記録する都市である。サウジ当局はこれまで電子リストバンドなどで巡礼者の動きを追跡しており、将来的にはIoTとデジタルツインを組み合わせて雑踏事故を未然に防ぐ構想が語られている(*18)。NAVERが受注したのはメッカの都市インフラの三次元複製であり、巡礼者そのものの群衆制御システムではない。この二つが今後どこまで接続されるのかについて、公式な言及は今回確認できていない。

リスクと未解決の勘定

第一のリスクは、依然としてKPIの非公開である。配送件数、稼働率、故障率、遠隔介入率、1配送あたりコストは公表されていない。技術デモとしての完成度と、経済性としての採算は分けて見る必要がある。

第二のリスクはクラウド依存である。通信断、遅延、サイバー攻撃、クラウド障害時の安全停止設計は、複数階移動や人混みの中での配送において特に重い課題になる(*14)(*15)

第三のリスクは横展開の再現性である。1784は新築・自社管理ビルという条件のもとで最適化されている。既存ビルへの導入には、エレベーター改修、動線設計、施設管理システム連携など重いコストが伴い、都市デジタルツイン輸出も、韓国の官民連携型プロジェクト(K-water、LXなど国策企業との協業)(*19)という特殊な体制の上に成り立っている。競合は、配送AMRではPudu、Keenon、Bear Robotics、建物OS/スマートビルではSchindler、Otis、KONE、Honeywell、Siemens、都市デジタルツインではBentley Systems、Autodesk、Dassault Systèmes、Hexagon、Esri、クラウドAIではAWS、Google Cloud、Microsoft、Alibaba、Tencentと、業界の垣根をまたいで広がっている。なお韓国国内の警備・配送ロボット市場は2026年に約10億ドル規模に達し、前年比でほぼ倍増する見通しも報じられている(*20)。1784はこの成長市場のショーケースであると同時に、NAVER自身にとっての実験コストでもある。

1784という数字を選んだとき、NAVERは労働を機械に明け渡した最初の時代を意識していたはずだ。蒸気機関は人間の筋力を工場から解き放ち、土地の制約から自由にした。NAVERが1784で置き換えようとしているのは筋力ではない。エレベーターの中で誰が先に動くか、ロボットがどこに立てば人が不快にならないか、という気配の采配そのものである。この技術が最初に国境を越えて商品になった先は、単体のロボットではなく、この「気配の采配」ごと収めた都市の設計図だった。そしてその設計図の対象都市の一つは、年に一度、地球上のどの都市よりも人が密集するメッカである。密集した人の流れの中で機械が何を学ぶべきかを、NAVERは1784の廊下とエレベーターの中で、5,000人の社員を使ってすでに数年かけて練習してきた。この二つが、いつ、どのような形で交わるのかは、まだ誰も言葉にしていない。

出典

*1 Ubergizmo「NAVER Turns 1784 Building Into Giant Robotic+AI Testbed」(2022-06-09)、probable

*2 Freethink「"Korean Google" opens the world's first robot-friendly building」(2022-12-03)、probable

*3 Interesting Engineering「100 robots serve customers at NAVER 1784's Starbucks」、probable

*4 World History Encyclopedia「Watt Steam Engine」、confirmed

*5 Samsung Newsroom「Samsung Electronics Collaborates with NAVER Cloud to Launch Korea's First Private 5G Network」、confirmed

*6 NAVER LABS Europe「Socially Aware Robot Navigation」、confirmed

*7 Design News「SoftBank Acquires Boston Dynamics and Schaft from Google」、confirmed

*8 TechTalks「The fate of Boston Dynamics」、probable

*9 Financial Times「'South Korea's Google' pitches AI alternative to US and China」(2026-02)、probable

*10 NAVER LABS「Research」、confirmed

*11 Korea Times「Naver completes digital twin of 3 Saudi cities」(2025-06-10)、probable

*12 KED Global「Naver secures $100 mn digital twin project in Saudi Arabia」(2023-10-24)、probable

*13 PR Newswire「TEAM NAVER to establish a joint venture with the National Housing Company in Saudi Arabia」(2024-11-18)、probable

*14 Penmetcha et al.「Smart Cloud」arXiv:1912.02927、confirmed

*15 Zhu et al.「Enabling Remote Whole-Body Control with 5G Edge Computing」arXiv:2008.08243、confirmed

*16 WSJ「Naver Posts Weaker First-Quarter Earnings」(2026-05)、probable

*17 CRN Asia「South Korea's Naver Cloud focused on providing sovereign AI as it eyes global expansion」(2026)、probable

*18 Al Arabiya English「How Saudi Arabia is using AI to transform the Hajj experience」(2026-05-23)、probable

*19 Middle East AI News「Naver delivers three Saudi smart city digital twins」、probable

*20 UPI「Naver showcases AI robots across 'lab-like' headquarters」(2026-04-17)、probable

未確認事項・要フォローアップ

  • 1784内の最新ロボット台数、累計配送件数、稼働率、遠隔介入率、事故・ヒヤリハット件数の公式統計。
  • Rookieの可搬重量、最高速度、稼働時間、充電時間、製造委託先、単体原価。
  • ARC/ARC eye/ARCVERSEの外販価格、SLA、API仕様、導入済み外部顧客名(サウジ以外)。
  • サウジアラビアの都市デジタルツイン案件について、NAVER・K-water・LXの出資比率・役割分担・契約更新条件。
  • Naver Innovation(NHC合弁)の出資額、資本構成、収益化スケジュール。
  • メッカ都市デジタルツインが将来の巡礼者群衆管理システムへ転用される具体的な計画・契約の有無。
  • NAVER公式IR資料における1784関連固定資産、NAVER LABS単体の従業員数・研究開発費・損益。
  • 既存ビルへの後付け導入で必要な設備改修費とROIの実例。